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「うつ」の経験者や家族の体験談~うつサポート情報室より~

職場での出来事をきっかけに重度のうつ病に “絶対に死だけは選ばないで”

埼玉県 / 男性 / 30代

私は中学の頃から30歳まで、軽度のうつ症状に悩み続けていたのですが、30歳になった頃に、職場での出来事をきっかけに自殺しか考えられない重度のうつ病になってしまいました。


29歳の時に転職をしたのですが、転職したての私は一生懸命仕事に打ち込み、肉体的にも精神的にもギリギリのラインでした。
そんなある日、ある会社の主催するイベントで講演することとなり、主催者の方々と打ち合わせを行う事となりました。私の他にもう一人、スピーカーを担当する同僚がいたのですが、ミーティング中に彼がいきなり私の用意する資料が完璧ではないから作り直す必要があると主張し始めたのです。
ただ、そのイベントは会社としてはビジネス的な意味は無く、以前私の会社で働いていた人が社長をしている会社だからという理由で協力することになったものだったので、複数の仕事を抱える私の中では一番優先度の低いものでした。
一方、その同僚は会社でも問題視されている人で仕事がもらえず、1ヶ月間そのイベントのためだけに時間を費やして資料を作っていたことから、非常なまでに私を来客の前で責め立てました。それは私のプライドを深く傷つけることとなりました。
それ以外にも、転職前にサイドビジネスとして数人のメンバーで作っていた会社で人間関係のトラブルがあり、突然消息を絶った主要メンバーのせいで、最終的に私が出資者と話をしたり、後始末をしたりという心労も重なり、先の同僚による言葉の暴力が最後の一押しとなって、死しか考えられないうつになってしまいました。


うつ病に治療法があることを信じられなかった私は、長年専門家にかかることもなかったのですが、限界に達した私は半信半疑ながらもようやく医者に診てもらうことを決意したのです。


しかし、私は、ドクターストップがかかったにもかかわらず、休職せずに無理矢理働き続けました。極端な能力主義と、会社にうつ症状の人間を受け入れる仕組みがなかったということもあり、無理やり仕事を続けました。会社のドアをくぐるのがやっとで、人と話すことすら極度のエネルギーを消費するような状態でしたが、直属の上司の理解があり、上司の計らいでなんとか生き残っているという状態でした。


当然完治しないままの状態だったのですが、回復したきっかけというのが「自信」でした。「自信を持つこと」が状況打破につながる、そう感じたのは、ボランティアで清掃作業に参加した時でした。それは海岸清掃で、特に個人にノルマがあるわけではなく、各人のペースで限られた時間内でゴミを拾っていくのですが、作業終了後に「いいことをした」という爽快感と「自分が清掃に参加して海岸がきれいになった」という達成感が得られ、ふだん常に頭から離れなかったネガティブな考えが薄らいだのを記憶しています。そのことがきっかけで、仕事も徐々にうまくこなせるようになり、他人から信頼を得たという実感を糧にもう一つ仕事をすることで、また実感を得るというポジティブなサイクルができるようになり、次第にうつ状態から脱却できました。


再発が心配ではあるのですが、適度に自信を持てるように自分でいろいろ工夫しながら生活・仕事していくことで、ここ2年半はずっと良い状態で過ごすことができています。


最後にやはり家族の理解があったおかげで最悪の状況にならずに済んだというのも事実です。うつであることを家族に告げると、家族も病気に関して勉強してくれたようでした。「がんばれ」ということは一切言わずにとても辛抱強く見守ってくれ、自信を持たせるように接してくれた事(適切な場での「ありがとう」という言葉等)が大きな生きる力となりました。(だからと言ってその時には感謝する余裕もなく、家族からの見た目は常に心配な状態だったと思います・・)その理解ある家族に「死ぬのだけはだめだ」「死なないで」と言われたことで、最悪の選択をせずにすんだのだと感謝しています。


うつは自分ではどうにもコントロールできない苦しさがあります。私も生きずにいられるのであればそうしたいと切実に願う毎日でした。周りの家族の苦労に気づいたりすると、いっその事死んでしまった方が、家族のためになるのだと勘違いすらしてしまうと思います。でも、絶対に死だけは選ばないでください。それだけは選んではいけない道なんです。

2019年05月20日 01時02分

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