社会保障ってなんだ 第6章 子育て支援と少子化

日本の社会保障制度は、英国の「揺りかごから墓場まで」をモデルに発足したのですが、子育て期の経済的支援の弱さや保育サービスの不足が常に指摘されます。「子どもを産んでみたい」「子育ては楽しい」、そう思える社会づくりが、社会保障制度でも、社会全体にとっても、いま最大の課題です。

もくじ

“日本で最後の社会保障”とよばれた児童手当

 古いことわざに、こうあります。

「総領(そうりょう)の15は貧乏の峠 末子の15は栄華の峠」

 長男や長女が15歳の頃、弟や妹は幼く、親は峠越えのように苦労する。末っ子が15歳になると、子育ても峠を越えて楽に歩める、という意味です。子どもの養育費・教育費が家計を圧迫するのは今も変わりはありません。現在は、高校や大学在学時の16~22歳がもっとも高く長い峠でしょう。

 社会保障制度は、社会保険を軸に公的扶助(生活保護)や社会福祉(社会的弱者施策等)で補完され、さらに養育費を補う「家族手当」(社会手当)が加えられました。世界的には1926(昭和元)年、ニュージーランドで初めて家族手当が創設され、次第に先進国へ広まりました。

                                
 日本では遅れに遅れ、1971(昭和46)年「児童手当」の法律名で成立し、翌72年1月1日施行されました。当時は「日本で最後の社会保障」と呼ばれ、家庭生活の安定や児童の健全育成を目的に掲げました。18歳未満の児童が3人以上いる場合、義務教育終了前の第3子以降に月額3000円支給の内容でした。父母ら養育者に一定以上の所得があれば支給しない「所得制限」も付けられていました。

 財源は、被用者(勤め人)については事業主負担と国・自治体で賄いました。主に大企業で従業員の子に扶養手当を支給していた私的制度を公的制度に切り換える名目で拠出させました。自営業者らへの支給は国と自治体で負担しました。

国際機関が提唱するスターティング・ストロング ~日本が弱い子育て支援~

 「小さく生んで大きく育てる」(当時の厚生省)と、ささやかなスタートを切ったのっですが、その後もいっこうに発育しない制度に陥りました。なぜでしょうか。

 子育ては親の責任とする日本的な考え方が根強く、社会全体で支援する気風に乏しかったのが主因ではないでしょうか。制度設計にも問題がありました。第3子以降の支給対象は少数派(1965年調査で子育て世帯の18.3%)のうえ、所得制限でさらに対象を狭め、実質的に貧困家庭対策に陥ってしまいました。支給期間も「中学校卒業まで」に限られ、教育費がかさむ高校以降は軽視・無視されました。

 その後、主に2~3歳児の支援に切り換えられ、徐々に少子化対策へ傾き、小学生まで拡大されました。この間、程度の差はあれ「所得制限」は一貫して設けられました。

児童手当の変遷(概要)の表児童手当の変遷(概要)の表

 欧州主要国では「家族手当」に所得制限のある国は見当たりません。日本では子育てを社会全体の課題にするのが難しいうえ、大企業を中心に「終身雇用」を前提の「年功序列賃金」体系であるのも、その要因でしょう。欧米の「職務給」(能力給)とは異なり、子どもの進学に連れ、親は課長・部長等になって給与も上がり、順調ならば養育費や教育費を捻出できるからです。しかし、企業全般で年功序列賃金から能力給への切り換えが進められ、中小企業では途中の入退社が多く、従来の慣行は通用しにくくなっています。しかも、現在のように非正規労働者が働く人々の3分の1を占める時代を迎え、年齢とともに収入も増える状況ではなくなりました。

 抜本的な見直しは民主党政権時代の「子ども手当」の創設(2010年度~11年度前半)でした。対象を中学生まで広げ、子の順位に関係なく一律1.3万円支給、所得制限も撤廃され、2010年度で支給総額2.7兆円(その代替で「年少扶養控除」は廃止)。しかし、財源確保策なしの見切り発車で、たちまち行き詰まりました。自民、公明党との3党合意で基本的に多子優遇、所得制限付きの新「児童手当」に逆戻りしました(11年度で支給総額2.2兆円、ただし年少扶養控除廃止で12年度以降の税収は推定1兆円増)。

 日本の社会保障諸制度の中で、もっとも弱い分野が子育て支援と言っても過言ではありません。先進諸国で作るOECD(経済開発協力機構)は、2010年代から「スターティング・ストロング」(人生の始まりこそ力強く)を提唱し始めました(ちなみに2017年のOECD保育白書のタイトルは「Starting Strong2017」)。日本に対しても「保育・幼児教育への重点的な投資がもっともリターンが大きい」と助言しています。

 子育てに対する公的な支援の乏しさは、国際比較でも明白です。児童手当、保育サービス等の家族関係政府支出が国内総生産(GDP)に占める割合を国際的に見ると、スウェーデンの3.53%、イギリスの3.47%、フランスの2.93%、ドイツの2.22%。これに比べ日本は1.31%で、格段に見劣りがします(OECD調べ、2015年時点)。

少子化に関連する国際比較少子化に関連する国際比較

「保育園落ちた 日本死ね」~仕事と子育ての両立ができない~

 第1子の出産前後も仕事を続ける女性は長らく4割前後でした。最近は5割強まで上昇しましたが、逆に言えば「出産退職」は依然として5割近いということです(2016年の第16回出生動向基本調査)。

 第1子の妊娠・出産を機に仕事を辞めた理由は、複数回答で

①子育てしながら仕事を続けるのは大変(52.3%)
②子育てに専念したい(46.1%)
③自分の体や胎児を大事にしたい(41.3%)
④職場の出産・子育て支援が不十分(27.9%)
⑤子どもの体調の悪いときなどに休むことが多く(11.7%)
⑥保育所など預け先を確保できなかった(10.9%)

などです(2018年、明治安田生活研究所のwebアンケート調査、対象25~44歳の既婚女性約1.2万人)。

 かつてのように同居の祖父母に孫を預けられる世帯は極めて少なくなり、仕事と子育ての両立には、保育サービスが不可欠になりました。
 1994年からの「エンゼルプラン」(今後の子育て支援のための施策)を皮切りに保育所の整備等が繰り返されてきました。しかし、大都市を中心に保育所の大幅な不足は続き、2013年春には首都圏を中心に入所を拒否された母親たちが「保育所確保は行政の義務なのに」「もっと認可保育所を」と、市や村に対し、次々に異議を申し立てました。政府も自治体も保育所づくりを進めましたが、大都市では働く母親の増加に追いつけず、2016年には「保育園落ちた 日本死ね」という匿名のブログが社会に衝撃を与えました。

 共働き世帯、母子世帯などには「小1の壁」も立ちはだかります。小学校に入ると、親の帰宅時間まで過ごす「放課後児童クラブ」(学童保育)が頼りです。その不足も社会問題化しました。
 政府・厚労省は、消費税5%から10%への引き上げを前に「育児」を「医療」「介護」「年金」と並ぶ消費税充当の目的に加えました。2018年度から3年計画で32万人分の保育所、保育士等の確保を目指す「子育て安心プラン」が実施されました。さらに2021年度から4年計画の「新・子育て安心プラン」で約14万人分の保育の受け皿が追加整備されると、25~44歳の女性の就業率が82%に上昇しても対応可能という。子どもを預けて働きたいカップルらの増加とその受け入れ先の不足という連鎖を何としても断ち切らなければなりません。

「歴史の希望」を取り戻せるか ~少子化が加速している日本の未来~

 このまま少子高齢化が進展すると、我が町、我が村の近未来をどんな姿になるのでしょうか。国立社会保障・人口問題研究所による2018年の地域別推計人口では、2015~2045年で、人口減少の市町村は全体の94%強の1588に上ります(東京23区を含み、東日本大震災の影響が残る福島県を除く)。

人口の減少率・増加率の大きな市町村(2015年~2040年)人口の減少率・増加率の大きな市町村(2015年~2040年)

 その見通しの中で、特に心配なのは、0~14歳人口(以下は子ども)が4割以上も減る市町村が全体の6割超に及ぶことです。最大の人口減少率は、奈良県・川上村で8割減のわずか270人に激減し、うち子どもは9人だけ、南隣りの上北山村は全国で唯一子どもがゼロに落ち込む予測です。
 市のレベルでも、北海道・歌志内市では人口3500人余から77%減の813人、子どもは21人へ、財政再建中の夕張市も75%減の2200人余にやせ細り、子どもは100人を切っていきます。

 一方、当然ながら高齢化は急速に進展します。人口に占める65歳以上人口の割合「高齢化率」ではなく、75歳以上人口の割合を示す「後期高齢化率」で、全国トップは群馬県の南牧(なんもく)村63%、次いで奈良県・川上村57%、同・御杖(みつえ)村55%。65歳以上が50%超で地域の維持が困難な「限界集落」と言われますが、それどころではありません。

 この75歳以上人口は、大都市部でも急上昇します。東京都の後期高齢化率は2015年の10.9%から2045年には16.7%、約227万人へ、大阪府でも11.9%から20.6%、約151万人に膨らむ見通しです。

 言うまでもなく「現状のまま推移すれば」という前提の話です。長生きは、変更してはならない未来ですが、少子化は変更したい未来です。現にフランスやスウェーデンは徹底的な子育て支援で少子化をほぼ克服しています。両国の人口維持には外国人の定住による貢献も含まれています。日本でも自国民と同じ権利と待遇で外国人を迎えられるかどうか、もポイントでしょう。

 敗戦後、日本が再出発を期した際、最初に立案された福祉法制は「児童福祉法」〔1947(昭和22)年〕でした。「福祉」という名前を付けた初めての法律でもありました。その制定へ向け「子どもは歴史の希望」という文言を盛り込もうという運動がありました。採用はされなかったものの、この国の未来を子どもたちに托した思いが伝わってきます。

 雪崩を打つような少子化は、出発点に立ち返り、新たな「歴史の希望」を育てる取り組みを迫っているのです。何よりも「子どもを産んでみたい」「子育ては楽しい」、そう思える社会づくりが最優先ではないでしょうか。

〈終章〉暮らしと人生を支える物語

 社会保障の諸制度を軸に、住宅、雇用、教育施策等も加えた「広義の社会福祉」の歩みは、人々の暮らしと人生を支えた長い物語です。その節々で、新「憲法」の存在の大きさ、大事さを改めて教えてくれます。

 「国民主権」(第1条)により成人は等しく参政権を得ました。史上初めて選挙権・被選挙権を得た女性の主張はもちろん、障害者ら社会的弱者の声に政治や行政が耳を傾けるようになったのです。「戦争放棄」(第9条)は、軍需に頼らない経済や社会福祉へ財源を振り向ける環境を整えました。「基本的人権の享有」(第11条)は、社会福祉の寄って立つ、まさに基盤です。

 社会保障給付費は、2018年度で125兆4284億円に上ります。全国民と全企業・団体による、いわば1年間の稼ぎ高にあたる国内総生産(GDP)の22.16%にあたります。ちなみに政府が社会保障統計をまとめ始めた1950年度の給付費は1571億円、GDP比2.87%でした。

 膨れ上がった給付費をいかに賄うのか。歴代政権のほとんどは、国民への説明・説得を怠り、給付に見合う負担増を求めず、国の財政は20年近く赤字国債という借金に頼ってきました。さらに、2020年度から新型コロナウィルスへの感染防止対策、経済支援策で前例のない巨額の財政出動を強いられ、国と地方の借金は一気に1200兆円規模に膨れ上がりました。赤ちゃんまで含め国民1人当たりざっと1000万円もの借金です。
 私たちは、この財政再建という重い荷物を背負いながら歩むことになります。険しい道程ですが、あの敗戦のどん底から立ち上がった時代に比べれば、築き上げた経済面、生活面の基盤があり、育て上げた社会保障の諸制度も後押ししてくれるでしょう。
 社会保障の「生みの母」は民主主義、「育ての母」は、戦争のない豊かな社会であることを再び実証する旅立ちです。

執筆:宮武 剛
毎日新聞・論説副委員長から埼玉県立大学教授、目白大学大学院教授を経て学校法人「日本リハビリテーション学舎」理事長。社会保障を専門に30年以上、国内外の医療・介護・福祉の現場を取材してきた。