社会保障ってなんだ 第3章 最も新しい社会保険「介護保険」

日本の社会保障制度は社会保険を軸に成り立ちます。その中で、医療、年金、雇用、労災に次いで5番目に創設された社会保険が介護保険制度です。長い間、お年寄りの介護を家族の責任にしてきたのを、社会全体の問題と捉えて、制度の理念と仕組みが設計されました。

もくじ

「社会保険」が対象とする「社会的なリスク」とは?

 日本の社会保障制度の中心である「社会(公的)保険」は、火災保険や生命保険等の民間保険に比べ、どこが違うのでしょうか。

 民間保険は「私的なリスク」に備え、自分で選ぶ「任意加入」で、「営利団体」(企業等)によって運営されます。社会保険は、「社会的なリスク」を対象に、「強制加入」で、「非営利団体」(国、自治体、組合等)に運営をまかせます。

では、社会的なリスクとは何でしょうか。

 医療費を払えず治療を受けない人々が増えると重傷・重病者が多発する、引退後に無収入なら生活困窮者が増える、失業して生活費にも事欠くと仕事探しも難しい、仕事での死亡・負傷に何の補償もない。どれも放置しておくと、社会全体が不安で不安定に陥るリスクです。

 社会保険は当初、勤め人対象で、医療(健康)保険(施行1927年)、年金保険(同1942年)、戦後に失業(雇用)保険と労働者災害補償保険(同1947年)の順で創設されました。

 それから50年以上の時を経て、介護保険法は1997(平成9)年12月、5番目の社会保険として成立しました(2000年度施行)。なぜ実現が遅れたのでしょうか。それが「介護」の難しさと大事さを象徴しています。

介護サービスの予算不足が生み出すひずみ ~行政と医療の現場~

 さかのぼると、1956(昭和31)年、長野県は「家庭養護婦」の派遣事業を始めました。1961年、聖霊(せいれい)福祉事業団は寝たきり老人らを預かる「十字の園」を浜松市で開設しました。いずれも1963年の「老人福祉法」制定で、「老人家庭奉仕員」(ホームヘルパー)、「特別養護老人ホーム」と名付ける正式な制度にされました。

 1972年には作家・有吉佐和子が小説「恍惚(こうこつ)の人」で認知症という難しい要介護状態の存在を社会へ広く知らせました(一般には惚(ぼ)け症状とも呼ばれる。当初は痴呆症と言われましたが、差別的な名称で改称されました)。

 この寝たきりや認知症の高齢者を支えたのは「措置制度」でした。市町村長が申請を受けて必要と判断すればサービス提供先も決めます(社会福祉法人等に委託も可)。費用は利用者の所得に応じて払います(応能負担)。行政の責任が明確な制度でしたが、福祉予算の乏しさからサービスは絶対的に不足し、ごく少数の経済的にも苦しい人々しか利用できませんでした。何しろ1965年度末で老人家庭奉仕員のいる市町村は全体の7%程度でした。

 この不足を補う形で、1973年の老人医療費の無料化(自己負担分)を契機に「老人病院」が急増しました。高齢者の入院費は確実に医療保険制度から支払いを受けられるからです。本来は治療(キュア)より介護(ケア)の必要な高齢者が、行き場がないために病院に頼る「社会的入院」です。その老人病院群は、食堂も浴室もリハビリ室もない劣悪な環境が目立ちました。内部告発で実態が暴かれた埼玉県・三郷中央病院(廃院)では、いやがる患者はベッドに縛り、検査と点滴の連続で暴利を得ていました。

 措置(取りはからう意味)は、貧しい人々しか受けられない「施(ほどこ)しの福祉」、施設も自分では選べない「お仕着せの福祉」に陥りがちでした。はじき出された要介護者は老人病院へ流れ、「医療が福祉の肩代わり」をする状態が続いたのです。

高齢化により「社会的なリスク」と認識されはじめた介護問題

 なぜ是正が遅れに遅れたのでしょうか。
 根本的には親の介護は子ども世代の義務という考え方が根強かったせいでしょう。親への愛情や尊敬はいつの時代も大切ですが、主に妻や娘や嫁らの介護に頼ったのが実態でした。老いた妻に夫の世話を強いる、親は80~90歳、娘とはいえ60~70歳に介護を押しつける(老老介護)。働く女性たちは介護で仕事を辞めざるを得ない(介護離職)。疲れ果てた介護者による虐待も社会問題になっていきます。高齢化が深まるに連れ、介護は個々の家庭の問題ではなく、社会的なリスクである、という認識は次第に広がりました。

 介護サービスを一気に拡大したのは、良くも悪くも消費税の導入です。竹下登内閣は「福祉の充実に」との公約を掲げ、1989(平成元)年度から消費税3%を実施。世論の反発は激しく、7月の参議院選挙では土井たか子委員長が「ヤマが動いた」と叫んだ社会党の大躍進をもたらしました。

 失地回復を急ぐ海部俊樹内閣は、翌90年度「高齢者保健福祉推進10か年戦略」(愛称・ゴールドプラン)の実施に踏み切りました。10年間で計6兆円余を投じ、介護サービスを増やす長期計画です。それ以前の10年間で高齢者関係の総事業費は計1.7兆円に過ぎませんでした。

 棚からボタ餅のようにお金が先に降ってきて、詳細な計画作りは後追いになりました。地域版のゴールドプラン「市町村老人保健福祉計画」等の策定が義務付けられ、自治体は大慌てで介護サービスの現状と将来ニーズを調べ、目標値を定めました(92年末)。

 94年9月には社会党籍の村山富市首相の連立内閣が消費税5%引き上げの見返りに「新ゴールドプラン」に切り換えました。前計画の折り返しにあたる95年度から99年度まで計9兆円と予算を倍増させました。とりわけ小学校校区を基本にホームヘルプ、デイサービス(通所介護)、ショートステイ(短期入所)等の在宅サービスの普及を目指しました。

 やっと介護を社会的に解決していく取り組みが本格化しました。戦後まもなくから続く措置制度という古い上着を脱いで、新しい仕組みに変える機運が高まり、介護保険の是非と内容が国民的な議論になっていきます。

お仕着せの福祉から「選べる福祉」へ ~介護保険の創設~

 介護保険制度の立案・設計は、政党の激しい離合集散の渦中で展開されました。何しろ自民党単独政権が崩れた1993(平成5)年夏から3年余で首相は4人も交代しました。

 最初の詳細な提言は、94年12月、旧・厚生省委託の「高齢者介護・自立支援システム研究会」(座長・大森彌東大教授)でまとめられました。

主なポイントは、次の通りです。

①高齢者自身によるサービスの選択
②介護サービスの一元化
③ケアマネジメントの導入・確立
④社会保険方式の採用

 かみ砕いて言うと、市町村が入所先の特別養護老人ホームまで決める“お仕着せの福祉”は、もうやめよう。ホームヘルパーも訪問看護師も一体でサービスを提供していこう。個々人の心身状態と生活状況に応じ、基本方針のケアプランを作成し、ケアのチームで実行していこう。そして、保険料を払う見返りにサービスを受ける権利性のある「介護保険」を創設しよう、という呼びかけです。

 従来の役所的な研究会とひと味違ったのは、在野の実践者や市民運動家もメンバーに選んだこと。山口昇(みつぎ総合病院長)、岡本祐三(阪南中央病院内科医長)、橋本泰子(東京弘済園ケアセンター所長)、樋口恵子(高齢社会をよくする女性の会代表)らが加わりました。この人選も新しい理念や仕組みの提唱につながりました。

 もちろん、保険方式への切り換えへの批判も根強くありました。要約すると、大幅な公費投入でサービスの質量を上げればサービスは選べる、保険料を払えない低所得層が無保険者に陥る、サービスを使うほど負担が増える保険方式の「応益型」の利用料は低所得者の利用を妨げる、措置制度を止めるのは行政責任の放棄ではないか、というものでした。

 制度原案を練った旧厚生省の先進的な官僚たちは、巨額の公費が必要な北欧型の公費方式は無理と判断しながら、社会保険方式の枠組みの中で、デンマークの高齢者福祉・三原則を目指すべき理念としました。住み慣れた地域で自宅や自宅に近い環境で暮らせる「継続性」、自らの生き方を決める「自己決定」、経験や能力を生かす「自己資源開発」です。

 翌95年7月、首相の諮問機関「社会保障制度審議会」(会長・隅谷三喜夫東京女子大学長)は、村山富市首相あてに「社会保障体制の再構築」を勧告しました。

 社会保障推進の原則を「普遍性」「公平性」「総合性」「権利性」「有効性」とする内容は、そのまま介護保険創設の勧めでした。たとえば、寝たきり等に「所得や資産の有無・多寡(たか)にかかわらず必要な給付を」「負担能力のある者には(年齢に関係なく)応分の負担を」「保健・医療・福祉の総合化が政策効果を高め」「種々のサービスを利用者の意志で選べ」などと提唱しました。

 同審議会を率いた労働経済学者の隅谷会長は、五味川純平のベストセラー「人間の条件」の主人公で、侵略戦争と軍隊の非条理に翻弄(ほんろう)される梶一等兵のモデルと言われました。ちなみに同審議会の建議や意見は数多いものの、最も強力な「勧告」は、第1章 最後のセーフティネット「生活保護」で紹介した大内兵衛会長時代に2回、この3回目で最後になりました(同審議会は2001年度の省庁再編に伴い半世紀の歴史を閉じ、その機能は経済財政諮問会議等に引き継がれた)。

 政権が次々に変わる政治状況の中で、浮き沈みしながら、介護保険法案は96年11月の臨時国会に提出されました。翌97年の通常国会では衆議院で可決されたものの、参議院で会期切れ、同年12月の臨時国会でやっと成立しました。

 この間、96年9月「介護の社会化を進める一万人市民委員会」、翌97年11月には市町村長有志の「福祉自治体ユニット」の旗揚げなど、広範かつ熱気のある市民運動が展開されました。何歳から強制加入(保険料納付)にするか、現金支給は是か非か、どの程度の給付水準を設定すべきか。国民的な議論が起きたのは介護保険創設前後の特徴でした。

現在の介護保険制度の枠組み

 制度の枠組みは、先行したドイツ介護保険と似た形ですが、財源は保険料収入と公費の折半、保険者は市町村など独自の工夫を織り込みました。制度の特徴は医療(健康)保険と比べると、理解しやすくなるでしょう。

①医療保険にはない年齢要件を設け、40歳から強制加入、原則65歳以上を給付対象(若い世代の障害者は対象外)
②給付を受けられる要支援・要介護状態の審査・判定は、医療保険のように医師独占ではなく、様々な職種で構成のチームで行う
③現金給付を避け原則的に現物(サービス)給付に限る、給付に上限のない医療とは異なり、要支援・要介護状態に応じ支給限度額を定め、限度額を超えるサービスは全額自己負担
④医療保険は複数の保険者に分かれるが、介護保険の保険者は市町村に一本化
⑤在宅サービスには全面的に営利企業等の参入を認める

要支援・要介護と支給限度額(標準地域、2020年度時点)①要支援・要介護と支給限度額(標準地域、2020年度時点)①

要支援・要介護と支給限度額(標準地域、2020年度時点)②要支援・要介護と支給限度額(標準地域、2020年度時点)②

 この最も新しい社会保険も2020年度で施行からまる20年になりました。

 要支援・要介護の認定者は施行年の2000年度末の約256万人から2018年度末で658万人、利用者は同期間に月平均184万人(うち施設利用者60万人)から554万人(同94万人)と飛躍的に増えました。総費用(利用料を含む)は3.6兆円から2020(令和2)年度には12.4兆円(予算)に膨張しました。

 介護保険は確かに順調に歩んできましたが、今後は、財源をどう手当するか、介護職等の人材をいかに確保するか、まさに持続可能性を正面から問われる“成人期“に入りました。

執筆:宮武 剛
毎日新聞・論説副委員長から埼玉県立大学教授、目白大学大学院教授を経て学校法人「日本リハビリテーション学舎」理事長。社会保障を専門に30年以上、国内外の医療・介護・福祉の現場を取材してきた。