社会保障ってなんだ 第4章 人生100年時代の支え「年金制度」

少子化と長命化があいまって日本の高齢化はますます進展します。老後の生活費を年金に頼る引退世代は増え続け、年金の保険料を納める現役世代は減り続けます。個人も社会全体も、いわば「長生きのリスク」に向き合う時代を迎えました。

もくじ

開戦時に産声を上げた年金 ~戦争に必要な労働者を確保する“アメ玉”~

 勤め人の老後を支える「労働者年金保険法」の公布は1941(昭和16)年3月でした(施行は翌年)。日本海軍がハワイ・真珠湾を急襲し、太平洋戦争が始まる9か月前のこと。

 なぜ、この時期だったのでしょうか。さまざまな説があります。

 立法の目的は「労働者をして後顧(こうこ)の憂いなく、専心(せんしん)職域に奉公せしめる」とあります。戦争遂行へ、軍需工場や鉱工業で働く労働者の確保が急務でした。働けば年金をもらえる“アメ玉”で誘う狙いでしょう。

 膨大な軍事費調達に紙幣を大増発し、物価暴騰は必至、その防止策に年金の保険料納付で労働者の購買力を吸い上げる必要もありました。保険料は積み立てられ、軍事費に借用もできます。これら複合的な理由で、年金制度本来の理念や目的にはほど遠いものでした。

 その労働者年金保険の概要です。

①強制加入の対象は鉱工業等で働く10人以上の事業所の現場労働者
②保険料は月収の6.4%、石炭採掘等の坑内夫は8%(労使折半)
③給付は20年以上の加入で55歳から老齢年金支給(坑内夫は15年以上、50歳支給)

 廃疾(障害)や死亡時の保証もありました。

“労働者”年金から“厚生”年金へ ~対象を事務職や女性へ拡大~

 1944年には早くも改称・改定され、「厚生年金保険法」になりました。当時は「労働者」や「社会」の表現は、労働運動や社会主義思想を連想させると避けられ、「厚生」(国民の生活を豊かにする意味)に切り換えられました。対象者は事務職や女性へ拡大され、保険料を月収の11%、坑内夫は15%に引き上げ(労使折半)、遺族年金の終身支給等も加えました。

 社会保障制度は、この年金制度のように必ずしも働く人々への支援だけではありません。「社会保険の母国」と言われるドイツでの立法目的が象徴的です。

 ドイツを統一した当時の宰相・オット-・フォン・ビスマルクは、多発する労働争議や革命運動を徹底的に取り締まりながら、一連の社会保険を整備しました。「ビスマルク3部作」と呼ばれる疾病(医療)保険(1883年)、労働者災害保険(1884年)、傷害・老齢保険(年金制度・1889年)です。弾圧と懐柔(かいじゅう)を組み合わせる“ムチとアメ”の政策でした。

 米・英・仏などに追いつき追い越そうと、「富国強兵」を目指す日本にとって、ドイツは格好のモデルで、医療保険に次いで年金保険の“輸入”を急ぎました。しかし、厚生年金制度はたちまち敗戦という国家の崩壊に巻き込まれます。加入者約832万人が敗戦直後には約433万人に半減し、制度は仮死状態に追い込まれました。

1954(昭和29)年、ようやく新法の成立で再出発を図ります。その概要です。

①保険料納付に応じ年金が高くなる報酬比例のみの給付を改め、低所得者にも一定額を保証する定額部分を加えた。
②支給開始を男性55歳から60歳へ引き延ばした。
③国庫負担を給付費の10%から15%へ引き上げた。
④保険料率は月収の3%(労使折半)。

 労使ともに負担増を嫌い、保険料率は極端に引き下げられました。それは、各人の保険料納付と運用益で年金を支給する「完全積立方式」から、現役世代の保険料も財源にする「修正積立方式」へ、やがては現役世代の保険料納付、つまり仕送りに頼る「賦課(ふか)方式」へ移行していく第1歩になりました。厚生年金は何とか再建されましたが、当時の就業者約4200万人のうち、厚生年金、公務員らの共済年金の加入者は約1200万人に過ぎませんでした。

“全国民に平等に” による難題 ~国民皆保険と同時に発足した国民皆年金~

 1950年代後半の選挙では、農林水産業者、商工業者ら自営業者を対象にする「国民年金」の創設が最大の争点になりました。社会保険方式か、税方式か、政党や有識者やメディア等による激論の末、1959年「国民年金法」が制定、1961年度から施行されました。国民全員が健康保険証を持つ「国民皆保険」と同時発足の「国民皆年金」の実現です。

主な内容です。

①20~60歳を対象(ただし、厚生年金、共済年金等の加入者を除く)。厚生年金等に加入する夫が扶養する妻や学生は任意加入。
②社会保険方式。ただし、発足時50歳以上は納付可能な期間が短すぎるため70歳から全額税による老齢福祉年金を支給。20歳前に障害者となった場合も税で障害福祉年金を支給(いずれも一足早く1959年度施行、恩恵的な制度で年金額はわずかだった)。
③保険料は20~35歳未満は月額100円、35歳~60歳未満は同150円。
④保険料25年納付で月額2000円、40年納付で同3500円を65歳から支給(経過措置で最短10年納付も認める)。
⑤国は保険料収入の2分の1相当を保険料とともに将来に備え積み立て。

 自営業者は農地や商店等の資産を持ち、定年もありません。そのためお手本のドイツでは任意加入ですが、日本では「全国民に」という平等が大事にされました。

 ただし、最難問が残りました。どんな形で保険料を徴収するのか。

 自営業者の所得は売上高から経費を差し引いた利益で、自己申告に頼ります。豊作・豊漁や不作・不漁で変動も激しい。この「所得把握が難しい」せいで保険料率の設定・適用はできず、「当面は」と定額保険料にされました。月額100円の出発時はともかく、保険料が高くなるに連れ、高所得者の目立つ個人経営の開業医、弁護士らにも、低所得者の多い零細な商店主、5人未満の個人事業所従業員らにも一律同額の保険料を課す矛盾が拡大していきます。

 この「当面は」の措置は、実に半世紀を超え、いまも大きな宿題として残っています(2020年度の保険料1万6540円)。

年金という“神輿”の担ぎ方 ~現役世代2人が引退世代1人を支える時代へ~

 年金制度はお祭りの神輿や山車に似ています。現役世代が保険料を払う形で制度を担ぎ、それを主な原資に、引退世代は制度に乗って年金を受け取るからです。担ぎ手が多く、乗り手は少ないと、神輿や山車は威勢良く進みます。逆に担ぎ手が減り、乗り手は増えると、重くて進めません。

どうすればいいのでしょうか。対策はそう多くありません。

①担ぎ手にもっと力を出してくれ、と頼む(保険料引き上げ)
②担ぎ手になるべく長く担いでくれ、と頼む(支給開始年齢引き延ばし)
③担ぎやすいように神輿や山車の軽量化を図る(給付水準引き下げ)
④公費を投入して支える(国庫負担引き上げ)
⑤運営が難しい神輿を吸収・合併する(年金制度の合併や一元化)

実際に、産業構造の激変や少子長命化(高齢化)の進展を背景に年金制度では、これらの対策が繰り返されました。

 1961(昭和36)年度、自営業者ら対象の「国民年金」の創設で「皆年金」体制が始まりました。しかし、農林水産業や零細な商工業の衰退とともに歩む形になり、国民年金の加入者(第1号被保険者)は先細りしていきました。
このため1986年度には「基礎年金」が創設されました。厚生年金や共済年金に加入する勤め人(第2号被保険者)やその配偶者(第3号被保険者)らを加え20~60歳未満の全国民が「国民年金」制度に加入し、同じ老齢基礎年金を受け取る切り換えです。
 「職業に関係なく等しく老後の所得保障を受けられるように」と説明されました。その通りですが、厚生年金や共済年金に加入すると、自動的に国民年金にも入り、その保険料も払います。つまり自営業者らだけで担いだ神輿の危機を防ぐため国民全体で担ぐ”ジャンボ神輿”に造り替えたのです。

 「国民年金」は制度名、給付時は「基礎年金」と呼ばれます。国民年金は制度共通の1階部分、厚生年金等は2階部分と説明されます。


基礎年金制度の導入(1986年度)による厚生年金と共済年金の構造基礎年金制度の導入(1986年度)による厚生年金と共済年金の構造

 この大改正では、勤め人の専業主婦(ごく少数の専業主夫を含む)を国民年金に加入させ、保険料なしで老齢基礎年金が支給されるようになりました(夫を含む勤め人全体で負担する)。20歳前に障害を負い、保険料を納付できなかった障害者にも支給される「障害基礎年金」も創設されました(それ以前は20歳前の障害者は公費で低額の障害福祉年金支給のみ)。当時は「主婦や障害者の年金権確立」と評価されましたが、共働きが増えるに連れ、「専業主婦優遇」との批判が強まりました(いわゆる3号問題)。障害基礎年金も「せめて生活保護並みに」と年金額の引き上げを求める声が高まります。

 一方、個別の制度では、旧国鉄(現・JR)、専売公社(現・日本たばこ)の共済年金は、相次ぐ合理化により、90年代に入り、職員1人で2人弱~1人強を担ぐ形に陥りました。“かご屋型”や“肩車型”に変形したわけです。このため97年には日本電信電話公社(現・NTT)を含め、共済年金は厚生年金に吸収合併されました。

 その厚生年金にも少子化の大波が押し寄せ、3人で1人を担ぐ“騎馬戦型”が崩れ、いまや2人で1人を担ぐ“かご屋型”へと近づきつつあるのです。

国勢調査e-ガイドのグラフ国勢調査e-ガイドのグラフ

年金の支給開始年齢を先延ばし ~年金制度に残された対策~

 保険料はどう変わったのでしょうか。

 厚生年金は、皆保険スタート時の男性で月収の12.4%(労使折半)から徐々に引き上げられ、2004年度で男女とも賞与込み年収の13.58%(労使折半)にされました。この間、国民年金は月額100円から1万3300円に跳ね上がりました。支給開始年齢は、国民年金では当初から65歳ですが、厚生年金は男性55歳から60歳へ引き延ばされ、さらに65歳へ移行しつつあります(女性は5年遅れで移行)。

 これらの対策でも世界最速・最高の少子長命化を乗り切るのは難しく、2004年度に大改正が行われました。

①保険料率は引き上げるものの、これ以上は上げない上限を定めた(2017年度で厚生年金は18.3%、国民年金は1万6900円 *2004年度価格換算)。
②このため保険料収入は横ばいで増えない。その収入に見合う支出にするため「マクロ経済スライド」と呼ぶ給付水準の抑制策を導入。従来は賃金や物価の上昇に応じ年金額を上積みしてきたが、少子化による支え手の減少と長命化による受給期間の長期化に応じ、すでに受給中の人々も含め賃金や物価の上昇分から1%程度を差し引いた上積みに止める(2015年度に初適用)。
③この抑制策で現役の平均賃金(賞与込み)と比べた厚生年金の標準的な支給額は04年時点の59.3%(所得代替率)から次第に50%強まで下がる。

 要するに、現役世代にもっと力を出してくれ、と頼む保険料引き上げ対策はもう取れなくなったのです。そのため給付水準を抑え込む、いわば神輿の軽量化に取り組むわけです。他にも、

④基礎年金の国庫負担を給付の3分の1から2分の1へ(2009年度実施)。
⑤年金の積立金を給付の原資に使い2100年には給付費の1年分まで取り崩す。

まさに、あの手この手の対策を盛り込みました。

 いま年金制度の最大の問題は、マクロ経済スライドによって、数十年後には厚生年金は実質2割減、国民年金は同3割減と、給付水準が落ち込むことです。残る対策は「もっと長く担いでくれ」と、65歳支給を引き延ばすことになります。ただし、厳密には一律の支給開始年齢は存在しません。厚生年金も国民年金も60~70歳の間で自由に受給時期を選べます(繰り上げ支給、いわば早取りは月0.5%減額、繰り下げ支給の遅取りは同0.7%増額、平均寿命までの受給総額は変わらない設定)、2022年4月施行で、さらに75歳までの幅で選択できるようにされます(平均余命の延びに応じ早取りは月0.4%減額に変更)。

 国民の大半が80歳~90歳代まで生きる時代を考えると、個々人の生き方としても、現役で働く期間と引退して年金を受ける期間とのバランスをとる必要があります。年金の財政面でも、少子高齢化が進展する中で、保険料を払う現役世代の人口と年金を受け取る引退世代の人口とのバランスを重視しなければなりません。年金制度は「模索の時代」を迎えています。

執筆:宮武 剛
毎日新聞・論説副委員長から埼玉県立大学教授、目白大学大学院教授を経て学校法人「日本リハビリテーション学舎」理事長。社会保障を専門に30年以上、国内外の医療・介護・福祉の現場を取材してきた。